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言語が世界を分節する [言語・記号]

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先日友人から聞いた話です。

彼の家では犬を飼っているのですが、夜など、ときどき誰もいない方を見ながら、あたかもそこにいる誰かを目線で追うかのような行動が見られるんだそうです。
それを見て、やっぱり犬には人間の目には見えないものが見えてるんだ、とその友人は思ったそうです。

やがて、その友人に、子供が生まれました。

するとどうでしょう。

驚くべきことに、あらぬ方向を目線で追っているあの犬の行動と、全く同じ行動が見られた、というのです。
犬とその子が並んで座っていると、まるでテニスの観客のように、全く同じものを目で追うように、全く同じ動きをした、というのです。
そして、彼らの見ている方向には誰もおらず、動いている物体も何もない、と。。

私はこの時点でかなり驚くべき話だ、と思ったのですが、この話には続きがあります。
この子がやがて成長し、ある程度言葉がしゃべれるようになりました。
すると、上のような行動が、ぱったりと止んだというのです。。


このとき突然、私の頭の中に、言語による世界の分節、という言葉がひらめきました。


今まで私にはよくわからなかった(そして殆ど忘れていた)ソシュールのいう言語が世界を分節する、ということが、この瞬間に一気にわかったような、突然目の前が晴れ渡ったような気がしたのです。それで妙にテンションがあがってしまいました。


ソシュールによれば、言語記号のシステムは、物理世界の秩序のコピー、つまり記号による移し変えではなく、記号システム内部の差異によって世界を分節する作用なのです。
それだけ聞くとなにがなにやらわかりませんが、つまり、世界秩序や自然事象が先にあって、それに言語によって、名前をつけていくのだという考え方ではなく、言語の差異のシステムが先にあって、それが世界の秩序を構築する、という考え方です。

ふつうは、それは逆ではないか?と思われることでしょう。
客観的な物理的な世界があって、それらを認識していく上で、世界内に存在している様々なモノに、名前をつけていった結果、言語体系が成立したのではないかと。
実際、ソシュール以前の哲学における認識もそれをベースとしています。

私も、ソシュールのこの考え方を初めて知ったときには、なんだかピンとこなかった。
しかしいまでは、よくわかる。

つまり、言語を獲得することによって、世界を認識する枠組みが決まり、それによって人間は世界を見、理解できるようになる。
だとすれば、自らの言語体系に存在しない場合は、その概念、或いはモノですら、自分にとっては存在しないも同然ということになる。

この友人の子は、言語を獲得することによって、その言語にあてはまらないモノを認識できなくなった、ということではないか、とそのとき私は思ったのです。
言語化以前の意識の原初形態、つまりは心象のうち、言語化されないものは認識されなくなるのではと。


言語による世界の分節化の一例。

全く知らない言葉を使っている国に行くと、どうなるか。
例えば私がタイに行ったときの話。
私はタイ語が全くわかりませんが、コンビニに入っても、売っているものにはタイ語しか書いていない。
つまり、そこで売られているものが何なのか、わからない。
これらは、認識不可能なわけで、そんな世界の中では、私は勘に頼って生きていくしかない。
これは、見えているのに見えていないのと同じ。ぼんやりとした、抽象的な心象としてしか外界を認識できていないに等しい。

しかし、仮に私がタイ語を理解できるとすれば、それら全て、具体的なモノとなって眼前に現れ、全ての事物をクリアに認識できるようになる。
そうなると、世界は一変する。目に見えているものは客観的には同じはずなのに、あたかも全く別のものを見ているかのように。

簡単にいうと、こういうことなのではないでしょうか。

だとすれば、人間は、本来いろんなものが見える、ということなんでしょうか。
言語を獲得していく過程で、外界認知システムが形成されていく中で、言語化できないものはどんどん切り捨てられていき、最終的には全く認識されなくなってしまうのでしょうか。

もったいない話です。

いわゆる霊能力者とは、言語獲得後にも、言語獲得以前にも見えたもの、即ち言語化が不可能であるようなものが見えている人たち、ということなのかもしれません。




尚、冒頭の写真(雑誌ゼロサン)は、この記事とは全く関係はなく、なんか書棚で目にとまったので、とりあえず紹介してみたくなり。
表紙はブリクサ(なので買った覚えが)、1990年4月号。
ベルリン崩壊後のベルリンルポは、読み応えあり。
結構いい雑誌だったのですが、いつのまにか休刊してしまいましたね。




言葉と無意識 (講談社現代新書)

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  • 作者: 丸山 圭三郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1987/10
  • メディア: 新書



ソシュールの思想

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  • 作者: 丸山圭三郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1981/01
  • メディア: 単行本



言葉・狂気・エロス―無意識の深みにうごめくもの (講談社現代新書)

言葉・狂気・エロス―無意識の深みにうごめくもの (講談社現代新書)

  • 作者: 丸山圭三郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1990/06
  • メディア: -




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コメント 1

renqing

嬉しく、楽しい一文を読ませていただきました。ノヴァーリスの断章「すべての見えるものは見えないものに触れている」を思い出しました。柳田国男の「別世界の消息」にも一脈通じるものがありますね。前言語的世界と言語的世界がトレードオフである、ことに気づかせていただきました。ありがとうございました。弊ブログ記事(下記)もご笑覧いただければ幸いです。
言葉の織物(A Textile of Language)
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2018/07/post-e73e.html
by renqing (2019-06-01 13:41) 

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