Doors of Perception [奇想・妄想]
知覚の扉澄みたれば、ものみなすべてその実相を顕さん。
If the doors of perception were cleansed everything would
appear to man as it is, infinite. — William Blake
今まで興味はあったけど、なかなか手の出なかった、
英国心霊主義の世界に、遂に足を踏み入れることにしたのですが
先日、まず手始めに、と思って購入した、
三浦清宏 『近代スピリチュアリズムの歴史―心霊研究から超心理学へ 』
があまりにも面白い。
要するに、心霊主義の歴史が1848年から現代まで書かれているのだけれど、
知っていることもありながらも、知らなかったことが大半で、
しかもびっくりするようなことばかり。
とはいえ、あまりはまりすぎるのもアレなので、心霊主義とか
スピリチュアリズムまんまな書籍はそれだけとしているのだけれど。
ただ、これを読んでいると、どうしても、神秘主義だとか、
世界をどう認識するか、だとか、彼岸とは何か、とか
そういったことを考えざるを得なくなる。
認識ということでいえば、そもそも脳というのは、外界を認識するに当たって、
フィルタリングをかけている、といわれている。
このフィルターがなかったら、外界から入ってくる情報量が多すぎて、
脳はそれを処理しきれず、或いは狂ってしまうかもしれない。
これは、そもそもベルグソンが言っていたことなのかな?
オルダス・ハクスリーもその著書『知覚の扉』で引用している。
確か養老先生もその著書のなかでそんなようなことを
言っておられたような気がする。違ったかな。
そのように、本来過剰な情報を整理整頓するために機能しているのが
実は言語だったりするのではないか。
言語を認識のためのツールとすることにより、
言語で表現できないものは、認識の外へと閉め出される。
これも一種のフィルタリングであるわけで。
それによって、人間が本来認識できるはずのものが認識できなくなるのではないか、
それを認識してしまうひとたちが霊能者と呼ばれたりするのでは、
とは以前の記事に書いたことがあるけれど
人間の脳にフィルタリング機能があって、
メスカリン等のクスリによって、意図的にその機能を一時停止したりできるのだ、
という発想はその時点ではなかった。
ところで、オルダス・ハクスリーと、ティモシー・リアリー。
ややこしい。この2人。
どっちがどっちだったか、わからなくなることがよくある。
ヘタすると、アレスター・クローリーの顔が浮かんできたり。。
あぁややこしい。
William Blake, Satan in his Original Glory
1805, Tate, London
2009-12-11 23:43
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