本日のお題: 2007年を振り返る [ひとり妄想対話篇]
妙齢OL B美: なによ、どうしたのよ?
新人OL A奈: またここに楳図かずおのマンガがあります!この表紙怖すぎですよ!
妙齢OL B美: なに言ってんの、これレアものなのよ。今となっては、表紙が違う文庫本でしか手に入らないんだから。まあ、いいじゃないの、そんなこと。もう今年も終わりだし。
新人OL A奈: カンケイないっす。。じゃあ、今年を振り返ったりしてみます?
妙齢OL B美: そうね。。 まあたとえば流行語大賞とかはあんまり信用できないっていうか、なんか違うな、って感じだったわ。。 なんだかんだいって、今年を代表する人は、しょこたんと、りあちゃんと、○輪さんだったんじゃないかな、って思うけど。
新人OL A奈: そうですね。○輪さん江○さんとワンセットになっていたような気もしますけど、本を読んだ人とか、テレビで見てた人は多いでしょうねー。私も毎週「オーラの泉」みてたし。。
妙齢OL B美: あたしもいちおう○輪さんの本を読んだことがあるけど、まあ確かにいいことが書いてあるよね。なるほど、その通り、と、うならされることも多いし。でもね、これは危険な書物だと思うけどな。
新人OL A奈: 危険、ですか?なにも危険なことは書いていないと思いますけど。。
妙齢OL B美: 危険っていうのはね、別に危険な思想が書かれているとか、マルキ・ド・サド的な、或いはフランス国会図書館における「危険書物」的な意味じゃなくて、これを読んだ人が、この本を鵜呑みにして、それを絶対化してしまって、それ以外の価値観を受け入れなくなってしまうのでは、ということなの。
新人OL A奈: あー、たしかにそうかも!
妙齢OL B美: なにごとにせよ、何かを無批判に完全に受け入れてしまう、ということほど危険なことはないと思わない?ていうか、あたしも別に、批判する気はないよ。そうじゃなくて、○輪さん自身言われているように、ああそうね、そんな考え方もあるわよね、というように相対化することが大事なの。つまり、読む側の問題。これは良いこと言ってるな、でもこれは違うと思うな、といった気持ちで、接していく。それが、最低限の批判精神というものよ。
そりゃあたしも、20代前半の頃なんかはね、澁澤龍彦にはまって、澁澤の言っていることを絶対化していた時期もあったよ。でも、それは、まだ知識も経験も少なく、アイデンティティも不安定な、ワカモノ期に特有のことなんじゃないかな。年を重ねていくにつれ、人間は色んな人と出会っていろんな話をしたり、いろんな本を読んだりして、引き出しが増えていく中で、自分なりの価値基準を作り上げていくものでしょ?そうして、何かを絶対化することから、徐々に脱却していくべきなんだと思うけど。
新人OL A奈: でも、自分の中の基準というものが確立されていないような人にしてみれば、これは危険だと。。具体的に、絶対化によってどんな危険性があるんでしょうね?
妙齢OL B美: まあマクロビなんかと同じ構造でしょ。つまり、こうでなくてはいけない、という基準を見出してしまうと、それで自分を縛ってしまう、自縄自縛というやつね。
マクロビにはまりすぎた人は、マクロビ的にはNGな食事をしてしまった後、ひどく自己嫌悪に陥ったりすることがあるらしいけど、それじゃあ何のための食事?楽しくなくちゃ食事じゃないよ。何かを絶対化することが、強迫神経症的な情況にその人を追い込んでしまう、そういった危険性があるんだ。
あと、もう一つは、○輪さんの思想にあてはまらない人、つまり、○輪さんがこうありなさい、といっている基準から外れる人を蔑視するようになる可能性がある、ということ。こうあってはいけないというような人を見つけたら、徹底的に軽蔑するけれど、自分は違う、自分は美意識の高い人間なんだ、と優越感に浸る。こういう差別の構造ができてしまうんじゃない?でもこれって、それだけ強い劣等感を持っているってことだよね。
誰かを好きになりそうになったときなんかも、その人が、○輪さん的な美意識を持った人かどうか、見極めようとする。でも、そんなことばかりしていたら、恋人どころか、友達もできなくない?
新人OL A奈: じゃあ、どうすればいいんでしょう。。?
妙齢OL B美: うん、それよりも、もっと簡単なことからしたほうがいいんじゃないかな。つまり、今よりもうちょっとフレンドリーになってみるとかね。まあこれも、簡単なようで、結構難しいけどね。
今週のTVブロスで、藤岡弘が、私は右翼でも左翼でもない、仲ヨクだ!ということを言っておられて、結構受けたけど、考えてみれば、これはなかなか本質を突いたことだと思うよ。
新人OL A奈: そういえば、世界平和を考えるのならば、まず家庭の問題を解決することから始めなさい、というようなことを確かマザーテレサが言われていたと思ったけど、違ったかな?まあうろ覚えなんですけど。。
妙齢OL B美: うん、それは胸に刻むべきことばだよね。
確かに、高い美意識を持って、上等な、美しいものに囲まれて生きていくことは大事だし、そういった生き方を説く、ということも、少しでも世の中を良くしていこうという意味で、素晴らしいと思うよ。
でもね、実際には、そんなことを実践できる人は、ほんの一握りでしかないわけ。だとすれば、皆がこうなっていこう、そして世の中を変えていこう、という力んだ姿勢ではなく、世の中これで少しでも良くなれば、という前提で、肩の力を抜いて考えるべきなの。肩に力が入りすぎるから、意見の違う人とぶつかってしまうんじゃない?
だから、もう一つ高い視点を持つことも大事なんじゃないかな。
新人OL A奈: もう一つ高い視点、ですか?
妙齢OL B美: つまり、人間というのは、強い意志と努力で、高い美意識、美しいものを作り出せると同時に、バカで怠慢で、どうしようもない生き物でもあるということ。でも、それでいいじゃない、ということができる器の大きい思想ね。
安吾とか、深澤七郎、織田作之助、最近だと町田康なんかにはそれを感じるけどね。価値があるものだけが価値じゃない、価値がなくてもいいじゃないか、という愛だよ。
あと、作家じゃないけど、小浜逸郎という人の思想にも、人間のどうしようもなさについての理解があって、とても勉強になるよ。
新人OL A奈: なるほど。。でも、あるがままで、それでいいじゃないか、というのでは、人間何も努力しなくてもいいじゃないか、というように捉えられる可能性もありますが。
妙齢OL B美: うん、それはそうね。でもね、それでいいんだよ。知性なんかなくたって、美しくなくたって、愛すべき人は世の中にいくらでもいるじゃない?まあ具体的な名前は出さないけど。
それにね、知性とインテリジェンスとは違うよ。たとえば、お笑い芸人をインテリジェントだなんて誰もいわないでしょ?でも、彼らは、物凄い知性の持ち主なんだ。なぜなら、彼らは言語を操って、笑いをとることができる。これは、極めて知的な高等技術だよ。知性のない人間は、笑われることはあっても、笑いをとる意図を持って人を笑わせることは絶対にできないわけ。「すべらない話」なんか見るとそれがよくわかるよね。あれに出ている人たちは、物凄い知的なテクニックの持ち主だと思う。
逆に、インテリジェントというのは、単純に知識が豊富というだけで成り立ってしまうじゃない? どちらが高等な知性かは、いうまでもないでしょ。
新人OL A奈: そうですね。インテリといわれる人が、必ずしも人を笑わせることはできないし。逆に、面白くもなんともなかったり、ぜんぜん空気が読めなかったりしますもんね。そんな彼らが、果たして知的といえるかどうか、ということですね。
妙齢OL B美: そう。みんながみんな知的になる必要もないし、美しくなる必要もないし。
あと、夢に向かって努力しなくちゃならない、なんてこともないんじゃないの。あたしは別に夢なんかないんだけど、そういうと、たいていは、なにこの人、みたいなリアクションが返って来るの。これもおかしいよ。楽しく、快適に、皆と仲良く生きていければいいんだよ。別に夢なんかなくたって、毎日楽しければそれでいいじゃない? それは、快楽主義とも幸福とも意味が違うよ。生の充実感ということなの。
新人OL A奈: 宇野千代さんみたいに、ああ楽しかった!といって死ねれば、こんなに幸せなことはないですもんね。
妙齢OL B美: そうそう。なんかさ、世の中自縄自縛的な人って結構多いよ。それってつまり、真面目すぎるってことかもね。
努力することはもちろん大事だけど、もっとリラックスして、たまにはいい意味で不真面目に生きていかなきゃ。最近は、スローライフとかいってそういう傾向が見られているけど、まあそれはちょっと違うかなあ。もっと、精神的な余裕ってものなんだけどね、あたしが言いたいのは。
たとえば。。 そうね、ここまで話したことをトータルすると、今年ちょっと話題になった小朝師匠なんかを見てて思ったけど、落語の世界なんかが、案外それに近いかもしれない。クリスマス恒例の明石家サンタなんかもそうだけど、身の回りの不幸なんかをぜんぶ笑い飛ばしてしまう発想? 結局、粋、ってことね。素敵だわ。。
もっと、なにが「いき」で、なにが「無粋」か、っていう価値観でものごとを考えるべきかもね。
そうだ、落語だ、これは! だから来年は、落語界に期待かな!
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