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青い海黒い海 [文学・思想]

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なんだか、今年の夏は、そんなに暑くない。
そんな気がする。
むしろ夏をぞんぶんに満喫できそうで、期待が高まる。


さて

最近、エッセイとか、フランス文学ばかり読んでいて、
ほとんど日本文学を読んでいなかったからか、
むしょうに、しっかりとした美しい日本語で書かれた、美しい日本文学が読みたくなった。

こういうことは、年に何度かあることで、
そんなとき、まず私が手に取るのは、川端康成だったりする。


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今回は、短編集の『水晶幻想』を読んでみた。
これを読むのは何度目か忘れたけど、最後に読んだのはたぶん5年以上は前で、
その大半を忘れてしまってる。

しかし
まず冒頭の、「青い海黒い海」に、うならされてしまった。
面食らったといってもいいかも。

完全にその内容については忘れていたけれど、
こんなにもヘンな作品だったか、と。

たとえば、以下のような調子。


「すると、お前のいる世界には二人のきさ子がいるのか。または、一人のきさ子もいないのか。或いは、お前ただ一人しかいないのか。」


「しかし、たんぽぽの花の上の陽炎からは人間が生まれないでしょう。」
「しかし、たんぽぽの花の上に陽炎がたたなければ、人間も生まれないのだ。」


自分の笑い声を聞きながら、まるで星の笑い声でも聞いたように、私はびっくりしました。それと同時に、自分という一本の釘が音もなく折れて、その釘にぶらさがっていた私はふうっと青空へ落ちて行きました。


鳥の翼のような花弁のダリアの花が風車のように廻っていました。


あの松林が水車のような音をたてて廻るダリアの花に見えたら、私は「りか子の生存の象徴の世界」に生きることができるのでしょうか。
時間と空間とを征服した、あの素晴らしく豊富で自由な世界を束の間持つために、人間は生まれて来たのでしょうか。そして死ぬのでしょうか。
ああ。わかりません。
私が眼の前の青い海でないことが不幸なのでしょうか。いいえ、あの時は私もりか子も、眼の前の黒い海だったではありませんか。



ほとんど自由な幻想、といってもいいような、奔放なイメージの連続。

作品として成立しているようないないような、ギリギリの構成。

ほんと、不思議な作品。
でも、このイメージの瑞々しさ、言語表現の眩しさに、
引き込まれてしまう。

それが川端作品の魅力なんだろーな。


しかし、もっとすごかったのは、表題作の「水晶幻想」だった。

これについてはまた後日。(引用疲れ)








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