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本日のお題:国際的競争力って?(1) [ひとり妄想対話篇]

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(おんな編集者A) - 先生、あのー、昨年くらいから、やたらと目につくことばの一つに、「国際的競争力」というのがありますね。この言葉を目にしない日はないってくらいなんですが。

(先生B) - ああ、よく聞くね。 とくに、小学校から英語を教えろだの、若いうちから海外に出て行かせて国際経験をつませろだの、そんなことを言ってる人がやたらと多いねぇ。

- はい。でも、そんなの必要なんでしょうかね。。 どう思われますか?

- うん、かなり疑問を感じてはいるね。 まあ、私は国際情勢とか、経済に関してはド素人だから、理屈じゃなく、感覚として、だけれども。
まず、日本の国際的競争力がどうのこうの、という話というのはたいてい、妙に切羽詰ったかんじというか、このままじゃ日本は凋落する、みたいなかんじで、基本的にトーンが悲観的だね。 焦りとか必死感が漂いまくっているな。
まあ、危機感を煽る、というのも時には必要だけれども、最近の風潮は、なにか必要以上にあせっているような、印象を受けるな。そこが気に入らないね。

- ええ、私もそう思うんですよ。 
そんなに頑張らないと、国際的競争力って高められないものなんでしょうか?
世界を相手に、そんなに必死でがんばって競争しなければいけないんでしょうか?
そもそも、日本の国際的な競争力が落ちている、というのは本当なんでしょうか?
なんて疑問が、わいてくるんです。。

- うん。 まず、国際的うんぬんという話だけれども、例えば、少し前だが、楽天が社内公用語を英語にするとかいって話題になったことがあったね。でも、英語ができれば「国際的」なのかね。

- そんなことがいちいち大騒ぎされるということ自体、国際的でない証拠じゃないでしょうかね。。

- 大体、英語がしゃべれるということを無条件に良しとする風潮にも、危険なものを感じるね。
それに対して、日本語の美しさを大事にしようという人が少なすぎないか。 といっても、外国語を学ぶことで、逆に日本語の良さ・美しさを再発見するということもあるが。 まあ、これは私の経験から言ってるんだが。
それに、母国語に美を感じ、それに誇りを持ち、大切に守る、ということは、国を問わず、国民としての基本だと思うんだが、どうも気にも留められていないように思えるね。それは愛国心というものが正しく理解されていないという話にもなるんだが。。 まあ、話がそれるからこのへんにしておこう。

- 或いは、日本は技術立国なのだから、もっと科学技術教育に力をいれるべきだとかいった議論もありますね。

http://www.garbagenews.net/archives/1307600.html

- ああ、一番じゃなきゃいけないんですか?みたいな話かい? まあ、個人的には、別に5番でも10番でもいいと思うし、つまり問題は順位じゃなくて中身だろう。 ましてやノーベル賞をとる必要なんて全くないと思うね。
そもそも、科学技術って、そんなに大事なんだろうか・・・とも最近思うんだ。
というのも、今回の原発事故のようなものを見てしまうと、ああ、結局、科学技術というものを突き詰めた結果がこれか、、という、複雑な思いもあるからね。 とにかく、国内の原発は全て、即刻止めるべきだろう。

- そうですよね。あんな事故があったにもかかわらず、何事もなかったように操業を続けているというのは、あまりにも非常識だと思います。

- まあ、話がそれるのでそれはおいといて、国民の学力が上がるのも、或いは、科学技術教育を充実させるのも結構だけれども、今言ったのとはまた別な違和感も感じるんだ。
というのは、そもそも競争、競争、と大騒ぎしていること自体が不愉快なんだけれども、それ以前に、国際的競争力っていうのは、別に科学技術の分野とか、成績とかそういった数字で表せる世界に限った話じゃない。 つまり、それぞれの国がそれぞれの特徴を生かしていくというか、そういう方法があるんじゃないか、と思うんだ。

- そうですね。。 例えばエジプトやタイ、ハワイみたいな、いわゆる観光立国だとか、或いはフランスやイタリアみたいに、観光、ファッション、美食なんかでステータスのある国もあるわけですよね。彼らは別に、他国と必死になって競争してるようには見えませんね、少なくとも。

- そう、つまり様々な文化的な面、つまりハードじゃなくてソフトだね、それでかなり潤ってる、あるいはブランド力がある、といってもいいかな、そういう国だってあるわけだ。ブランド力があるというのは、相当の強みだよ。
日本の場合は、要するに、ほかに何も思いつかないから、とりあえず教育しておけ、みたいな感じがあるけどねぇ。
ブランド力ってのは、学校で教えようにも教えようがないしね。企業戦略やデザイナー、ものづくりの現場のセンスなどが物をいう。 そして、なんといっても、文化の洗練度の高さと歴史の重みだよ。
その意味では、例えば、和食とか着物、ファッション、建築、映画とか、いずれも日本は世界的にもトップレベルのものばかりだと思うけどね。 まあ、最近の映画は、どうかと思うけれども。

- そうですね。 もちろん科学・技術の進展が、新しいビジネスに結びつくのはいいことですが、生活に支障がない程度に技術があれば、別にいいんじゃない、とも思います。 それに、科学技術ばっかり前面に押し出してる国っていうのも、なんかつまらないですよね。 先日のロゴスの話じゃないですけど。 

- うん。 そもそも、今、日本でもっとも国際的な競争力があるものって何だろう、と考えてみると、車、電化製品、ゼネコンやプラントエンジニアリング、などもあるだろうけれども、なんといってもやっぱり、アニメや漫画だろうねえ。

- そうですね。 でも、アニメや漫画を作っている人は、たぶん英語が話せる人は多くはないし、海外経験が豊富とか、外国の文化について勉強してたりとか、ってわけでもないでしょうし。

- うん、海外のマーケットを意識した、綿密なマーケティングに基づいて作品を作っている、ということもないだろうね。 まあ、わからないけれど。

- どちらかといえば、ひたすら自分が好きなことをやってたら、世界中に、自分もそれが好きだ、それを売ってくれ、という人がたくさんでてきた、ということなのでは、と思うんですけど。

- そうだろうね。結果として、日本にしかないものができた、つまり高い国際的競争力がついてしまったと。でも、それはあくまでも例外的で、理想的な形だろうけれど。

- 誰が言ったか忘れましたが、最もINTERNATIONALなのは最もNATIONALなものである、という言葉があります。これは逆説を弄しているというわけでもなくて、私もその通りだと思います。

- 同感だね。 マクドナルドやコカコーラといった、世界中どこでも受け入れられるようなものは除外するとしても、最初から、世界中でうけるようなものを作ろうとしても、なかなか作れるものではないよ。
むしろ、他の国にはない、その国独自の、なにかインパクトのあるもの、の方が受けるだろう。例えば、観光っていうのは、そもそも、そういうものじゃないか。
そのいい例が、○代自動車の日本での低迷ぶりだよ。年間に1000台も売れてないらしいじゃないか。○代側は、デザインも品質も、日本車と同等なのだから、なぜ売れないかわからない、みたいなことを言っているらしいが、私に言わせれば、日本車と同等だからこそ、売れないんじゃないか。

- といいますと?

- ○代は、外車になるね。そして、日本人が外車に求めるのは、メルセデスやBMWがいい例だが、日本車にはないデザインや、ブランドイメージ、ステイタスだ。それこそ君の言う「NATIONAL」であると同時に「INTERNATIONAL」、なものだよ。
つまり、強い独自性を持っていながら、世界中の人々を魅了する力がある、即ちINTERNATIONALである、というものだ。
それらの何一つとして、○代にはない。それだったら、日本車を買ったほうがいい、となる。売れなくて当たり前だ。それが全くわかっていないね。

- なるほど。。 


(つづく)



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noga

日本人に関する '有ること' と '無いこと'。

感性があって、理性がない。
感想を述べるが、理想を語らない。

現実の内容はあるが、考え (非現実) の内容はない。
事実は受け入れるが、真理は受け入れない。

実学 (技術) は盛んであるが、哲学は難しい。
実社会の修復はあるが、理想社会の建設はない。

現実の世界は信頼するが、非現実の世界は信じない。
現実の内容を再現すれば、それは模倣である。
考え (非現実) の内容を実現 (現実化) すれば、それは創造である。
模倣力はあるが、創造力がない。

「今ある姿」を語るが、「あるべき姿」は語らない。
私語・小言は好むが、公言・宣言は好まない。
歌詠みは多いが、哲学者は少ない。

丸暗記・受け売りの勉強はあるが、考える力・生きる力がない。
学歴はあるが、教養はない。
序列判断はあるが、理性判断はできない。

学歴は序列判断の為にあるが、教養は理性判断の為にある。
学歴社会というのは、序列社会の言い換えにすぎない。
序列順位の低いことが恥と考えられている。サムライ社会のようなものか。
理性がなくても「恥を知れ」(Shame on you!) と叱責を受けることのない恥の文化が存在する。

民の声を代弁する議員は多いが、政治哲学はない。
総論 (目的) には賛成するが、各論 (その手段) には反対する。

理想 (非現実) は、現実に合わないと言って受け付けない。
現実の内容を根拠にして、理想を捨てる。
意見は個人個人で異なる。だが、小異を挙げて、大同を捨てる。

恣意 (私意・我儘・身勝手) が有って、意思がない。
恣意の力 (大和魂) に期待をかけるが、意思の力は認めない。
意思決定は困難を極め、多大な時間を浪費する。

「個人の意見は通らない」と言うが、個人を選出する意味が理解できていない。
意思があれば、手段がある。意思がなければ、手段はない。

この国には、何でもあるが、ただ一つ夢 (希望) がない。
この国には、現実はあるが、非現実がない。
日本語には現実構文の内容だけがある。日本語脳は、片輪走行である。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


by noga (2011-04-23 20:19) 

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