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「現状肯定」の精神(2) [ECO・社会]

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先日の記事で、
ODAであれ被災者支援であれ、いわゆる「援助」というものが、「何かが不足している」人や国に対して、その足りないものを「分配」することとなりがち、といいうことと、
「現状肯定」と、「現状を常に不足している状態と見なす」、という姿勢の違い、
ということについて書いた。

今回は、何かが不足している、ということについてもう少し考えてみる。


私はODAとか、海外支援などの現状についてはよく知らないし、被災地にいったこともない。
だから、いわゆる現場のことはわからないけれども、援助活動というのは基本的には喜ばれ、
困っている人たちの役に立つものだと信じている。

ただ、何をもって「不足」とするのか、或いは、それを「よそ者」が判断し、配分する、
ということについては、考えさせられるものがある。


たとえば、一例を挙げると、いわゆる途上国で、貧しい生活をおくり、学校にも通ったことがない、
教育を受けていないから収入の多い仕事にもつけず、一生貧しいまま、
という人たちを紹介したドキュメンタリーなどが、日本で放送されることがある。

それを見て、かわいそう、と、ふつうの日本人なら考える。

ふつうに考えたら、ふつうに人として正しい反応だと思うけれど
しかし、それは果たしてどうなんだろう。

なんだか、大学のゼミのディベートのお題みたいな話だけれども
そもそも、(日本人から見たら)貧しく、学校もない彼らは、果たして「かわいそう」なのか。

翻って、日本は、電車の中で、疲れきった顔をして居眠りしてるサラリーマンだとか、
好きでもない仕事でストレスためまくり、さびしいだの自分さがしだの言ってるOLだとか、
恐らくは「貧しい」国にはいないようなタイプの人がたくさんいて、しかも
毎日のように鉄道では人身事故が発生し、自殺者が年間3万人を超えるような国。

「貧しい」子たちが、そんな日本を知ったら、「かわいそう」と思うんじゃなかろーか。

私はたとえばインドで、日本人から見たらとても貧しく、日本人には想像もつかないような
とんでもない状況で暮らしている人々を何度も見ているし、
少しは、そういった「貧しい」世界の現状を見ているつもりではある。

でも、そこで暮らしている人たちは、別に辛そうでもないし
私がそういうところを歩いていても、身の危険を感じるようなことも無い。

でも、埃まみれになって道端で生きているストリートチルドレンの姿などを見たりすると、
いろいろ考えずにはいられないし、ちょっとつらくなってしまうこともあるのだけれど、
彼らは、みんな楽しそうに街中をとびまわっている。

考えてみれば、彼らは、自分の生活の中に、何か「不足」を感じているんだろうか。

彼らは、たぶんいつもおなかを減らしてるんだろうから
おなかいっぱい何か美味しいものを食べたいなあ、くらいは思っているだろうけど
でも、それ以外は?

むしろモノがあふれている日本の子供たちのほうが、あれが欲しい、これが欲しい、
でもうちはそんなにお金持ちじゃないから、これしか買ってもらえない。。
と、「不足」を感じることが多いんじゃなかろーか。



人間の欲望にはきりがない。

何も不足を感じない、ということは、通常、悟りでも開いた人でもない限り
まず、ありえない。

或いは、乳幼児。
乳幼児の欲望は、空腹を満たすことくらいである。
そして、その欲望は、泣き喚けばたいてい満たされる。
なので、彼らは全能であり、ほぼ完全に満ち足りた存在である、
と発達心理学なら教えるでしょう。


客観的に何かが不足している状況に対し、
それに対して当事者はなんとも思わない、ということは、有りうる。

たとえば、インドでは、インフラが整っていないせいで、
しょっちゅう停電するし、そもそも電気が通っていない地域だってある。
下水道も整っていないので、少し強い雨が降ると、道路は川のようになってしまうし
いつもは通れる道が、水溜りになって通れなくなってしまったりする。

でも、不平を言ってるインド人はあまり見たことがない。
つまり、彼らはそんな現状を当たり前のように受け入れ、何ら「不足」を感じていない、
ということなのかもしれない。

これが日本だったら、大騒ぎ。
電車がちょっと止まったりしただけで、駅の構内は不穏な空気に包まれてしまう。
だとしたら、日本の方がよっぽど「不足」しているというか、少なくとも、
「不足」に対する「不満」の強さというものが、かなり大きいということになる。


話をストリートチルドレンに戻すと、
彼らのちょっとした表情の輝きに、ハッとするような美しさを感じることもある。
そこに、日本ではまず経験できないような類いの感動をおぼえることも少なくない。
石川淳が「焼け跡のイエス」で描きたかった美とはこれか、
などと思ったりもする。 違うかもしれないけど。

そういった輝きを見せるところにこそ、彼らの生まれてきた意味があり、
そこに感動をおぼえることにこそ、我々の生まれてきた意味があるのではないか、

ここにいったい、どんな不足があるんだろう。
このように、この世界は調和しているのではないか。。


なんて、ちょっと文章化するのはこっぱずかしーようなことまで考えてしまう。


教育。 貧困。 人間。 美。 世界。


どれも人間にとって基本的なことだけれど、基本的であればあるほど、
その明確な定義というのは、実に難しい。



とここで、はたと気づいた。
つまり、私自身はどうなんだ、と。

もちろん、ふつうの日本人であれば、大なり小なり不足・不満は感じているんだろうけど
私がこの話にここまでこだわるということ自体、私の無意識に、
不足ということに関するコンプレックスがわだかまっていることを証明しているようなもの。

これをうまいこと表現するとすれば、ちょっと気取ったことをさせてもらえれば、
以前の記事にも引用した、以下の三島の文章が、まさにそれだと思う。


「貴様はきっとひどく欲張りなんだ。欲張りは往々悲しげな様子をしているよ。貴様はこれ以上、何が欲しいんだい」

何か決定的なもの。それが何だかはわからない。

(三島由紀夫 『豊饒の海(一) 春の雪』)




2012年もこれで終わりだけれど、
これってまさに、今年の私の状況そのまま、という気もする。

物欲が激しくて、美味しいものも食べたくて、でも、それらを手に入れてもなにか満たされなくて、
恐らくは、いつも悲しげな様子をしていて、
自分にとって決定的なものはなんなのか、見つからない、という。。


来年こそは、「何か決定的なもの」を見つけたい。

とにかく今年は、特に後半、今までの人生であまり考えたことの無いようなことについて、
いろいろと考えさせられるようなことが多かった。

とりあえず、今年はこんな感じで締めてみようかと。





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