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熱帯の印象 [イメージ・象徴]

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今年に入ってから、いままでになく、仕事で暑い国に行くことが多い。
なので、今年は、日本の冬の寒さをほとんど経験しないですんだ。

私はハワイやグアム、プーケットなどといった、いわゆる「熱帯」のリゾートに行ったことがない。
日差しが強いのが苦手なので、旅先にそういった場所を選ぶことはありえないし
そもそも「リゾート」というものに興味がない。

それが先日、仕事である暑い国に行ったとき、結構田舎の方だったので、
椰子の木と森と畑がひたすら続くような、なにもないようなところを、
車で一時間ほど走ったりすることが何度もあったのだけれど

そんな風景をボーっと眺めていて、ああ、きれいだな、と思うと同時に、
あたりまえだけど、これは紛れもなく、いわゆる熱帯だ、と思った。


熱帯経験が少ない私の中で、熱帯のイメージといえば、
まず思い浮かぶのはやっぱり椰子の木と、
ブーゲンビリアなどの鮮やかな色彩の花が咲き乱れる感じ。
そして、それは位置的には東南アジアであり、それ以外の例えばアフリカとか南アメリカ、
ポリネシアなどのイメージは薄い。
要するに、「南国」なのである。


次に思い浮かぶのは、2つあって
ひとつは、澁澤龍彦が『高丘親王航海記』で書いて見せたような
ある種の幻想的なイメージ。

日本とはあまりにも違う空間としての、楽園的なイメージのともなった
ある種の憧れの地でもありながら、どことなく彼岸的でもあるような。
要するに、別のことばで言えば、エキゾティシズム。


そしてもうひとつは、そこになにか、漠とした悲しみのようなものを感じるということ。
ダイレクトな悲しみではなく、表立っては見えてこないのだけれど
なにかこう、うっすらと漂っているような、通底音のようなもの。
これが私にはひっかかる。


私は熱帯は好きだけれど、リゾートあるいは観光地に行くよりも
むしろ、そのへんの田舎町の、ふつうの人たちの生活を見ていたり
そういった空間に身を置いている方が落ち着く。

そういうところでは、一日中、とくになにをするでもなく
家の軒先でのんびりしてるような人をよくみかける。

そこにはとてものんびりした、おおらかな空気があって
日本人のような、せかせかしたり、自分を抑えつけたり、必要以上に気を使ったり、
飾ったり、、 といったものが微塵も感じられない。 
つまり、人間の本来の姿を見る思いがする。

だから、こんなにも平和で、のんびりとした風景を見てなにが悲しいのかといえば、
私は別にレヴィ=ストロース的なことを言いたいのではなく、

それはまず太平洋戦争のイメージが重なるから、つまり
そこでたくさんの日本人が死んだから、だと思っていたけれど
そういうことではないらしい、ということに気づいたのは、やはりこうして実際に、
何度か熱帯を訪れるようになってから。


もちろん私に従軍の経験などあるはずもなく、
戦争映画をたくさん見ているわけでもない。せいぜい戦メリくらい。
戦争文学も、例えば大岡昇平の『野火』とか、すごく感動したけど、
それ以外はあまり記憶に無い。

しかも太平洋戦争についてはよく知らない。
おそらく、その知識は高校の教科書レベル以下でしかない。
もしかしたらこれは日本人として恥ずかしいことなのかもしれないけれど。



先日、仕事である南国を訪れた際、フィリピン人と話す機会があった。
彼は非常にフレンドリーで、人のいい若者で、日本が大好きだといっていた。

でも、その彼が、
第二次大戦中、日本はフィリピンを conquer したでしょ、
と言ったときは、思わず、ドキッとした。

どこかの国の人とは違って、彼は別にそのことで日本を恨んでいるわけでもなく
単純に事実として、あまりにもさらっと言っただけなのだけれど
私には、ひどく印象的だった。

熱帯のイメージに伴うある種の悲しさというのは
やはりそういった外国によって征服された歴史を持っているから、かもしれない。

度重なる中国による南下、
15世紀のヨーロッパによる大航海時代の幕開けに伴う、東南アジアの侵略。
その後のヨーロッパ諸国による支配。
ベトナム戦争。

しかも、ベトナム戦争は別として、彼らには、外国による支配・侵略行為に対し、
戦ったという印象が薄い。事実としては、あったのかもしれないけれど。
戦わずして、支配されることを受け入れることのおとなしさ、従順さに
うっすらと悲しいものを感じるのはなぜだろう。


考えてみれば、「フィリピン」という国の名前は、16世紀にスペインに征服されたとき
当時のスペイン王フェリペの名前を冠して勝手にスペイン人につけられたもの。
自分の国の名前が、他の国の王にちなんだもの、というのはどういう気持ちなんだろう、
と考えてしまうけれど、そんなこと、とてもフィリピン人に聞けない。

まあ、、仮にこんなことを彼らに言ったところで、
はあ?みたいな反応が返ってくるような気もする。

要するに、私の独りよがりな思い込みみたいなものにすぎないんだろーな。



ところで、澁澤的な熱帯のイメージについて、
中野美代子さんがあまりにも美しい文章を書いているので、引用。


澁澤龍彦の幾何学嗜好は、ついに高丘親王の死への漂泊の領域まで美しい円のなかに閉じ込めたのだった。そして、この円内に、南海のエグゾティシズムを象徴するものの名を、ふんだんに散りばめたのである。
いわく、ジュゴン・金翅鳥・(中略)・ガジュマル・孔雀・犬頭人・鸚鵡・ラフレシア・獏・真珠などなど。
(中略)
アンコール・ワットの北にあるアンコール・トムは、その寺院も荒廃をきわめていた。わけても、アンコール・トムのすぐ北のプレア・カン寺院は、ガジュマルの太い根が石の壁を崩落させ、熱帯の草木が寺院をびっしり蔽っていた。ふと立ちどまり密林の樹々を見上げると、テナガザルの哀切な声がひびき、鮮やかな胡蝶が葉かげから翔 びたった。
高丘親王が、或いは森本右近太夫が、いやあるいは澁澤龍彦がひょいと顔をのぞかせそうな、熱帯雨林の昼下がりだった。澁澤龍彦が南海エグゾティシズムの円環の中心点としてえらんだアンコールの地は、このうえなく暑く、このうえなく静かだった。

(中野美代子 「南海」、『澁澤龍彦事典』所収)



暑い国では、朝、いままで聞いたとこともない動物だか鳥だかの鳴き声で
目をさましたことがよくあった。それを思い出した。


ちなみに、ジュゴンは、中国では鮫人すなわち人魚とも呼ばれ、
南海の海の底に住み、機織をしているが、泣くとその涙は真珠となるのだとか。

なんて美しいイメージ。






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