蘭郁二郎という狂気 [奇想・妄想]
蘭郁二郎という作家を、最近初めて知ったのだけれど
とにかく、なんという無気味な作家だ、と思った。
彼の作品に出てくるのは、狂ってるとしかいいようがない人間ばかり。
たとえば乱歩作品にも、狂ってるというか、異常な犯罪者が出てくるけれども
それらは犯罪者としての美学に貫かれていることがほとんどで、
つまり、一見異常な人間に見えながら、実はあくまでも理性的であって
最初から壊れている人間なんて出てこない。
結局、乱歩が緻密な計算に基づいて、作り出したもの、
という、或る意味での安心感のようなものがある。
要するに、乱歩作品はエンターテイメントだということ。
夢野久作の作品にも、けっこういい感じで壊れている人間がでてくるけれども
まあ虚構として読んでいられる。
しかし、蘭郁二郎の描く狂気は、違う。
紙一重感というか、一見ふつうの人間、或いはちょっと変わってる、程度だったのが
少しずつ異常なものへと横滑りしていくような、異様な無気味さがある。
そこには、美意識や一貫性や、計算などもなく
人間の意識の深層にあるなにかがふつふつと蠢いているようでもあり、
何かに操られているようでもあり、
そこにへんな生々しさがあって、異様な緊張感と、ゾッとするなにか、
乱歩にはない戦慄、凄みを感じさせる。
ふとした日常の中に、突然戦慄が走ることの恐怖。
たとえば、「魔像」あたりに感じられる、この怖さって、何なんだろう、と考えるに、
それはつまり、自分もこういう目にあってしまうかもしれない、という恐怖、
いや正確に言えば
自分もこのように、狂ってしまうのではないか
という、妙にリアルな恐怖なのではないか、という気がする。
彼の作品はだから、乱歩や久作よりは、例えば村山槐多などに近い。
自分はいまこういう危険な状態になりつつある、みたいな
自分のなかから溢れてくるものがあって、それをそのまま書きなぐっている、
そんな印象があり、それがなお更恐ろしい。
その意味では、犯罪のルポルタージュに近い感触がある。
とにかく
蘭郁二郎は、あまりにも世に知られてなさすぎだと思う。
また、入手も結構困難。
春陽堂あたりが、安い文庫版で出してくれればいいのに、
と思うんだけど。
ただ、彼の作品の多くは、KINDLEで入手可能。
ところで、デビュー作である傑作「息をとめる男」を彼が発表したのは1931年で、
当時弱冠18歳、そして1944年には、31歳にして飛行機事故で亡くなっている。
あまりにも行き急いだ感のある、劇的なその一生を知って驚いたけれど、
その中原中也なみの夭折、まさに早熟の天才作家、という感じがする。
(ちなみに、村山槐多は22歳で亡くなっている)
こう言ってはなんだけど、
狂気の作家にふさわしいというか、必然なのかもしれない。
誰か彼の伝記を書いてくれないものか。
その素晴らしい作品の大半が、20代の若者によって書かれた、ということが
驚くべきことだけれど、
彼が乱歩なみに長生きしていれば、どれだけ大量に傑作を生んでいたか、と思うと
残念でならない。
人間の驚異的な能力だとか、人生、宿命なんてものについて
また考えさせられた。
2013-11-26 20:41
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