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自殺 x 事故死 x 憑依 (2) [心理・犯罪]

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前回の記事の続きだけれど、

矢貫 隆氏の 『自殺』 を読んで、私が非常に驚いたと同時に興味をひかれたのは、
自殺未遂者と、事故などで死にかけて九死に一生を得た人とで、
死に直面したときに、見えるものが違うということだった。

人は、交通事故で車と衝突したりして死にかけたとき、今までの人生が走馬灯のように流れた、
だとか、時間がものすごくゆっくり過ぎるように感じた、すべてがスローモーションに見えた、
などという話をよく聞く。

とくに、臨死体験の本などを読むと、よくそういうことが書かれている。
だから、人間が死に直面するときは、脳のなんらかのスイッチが入って、
そんなものを見せるようにできているのかな、と思っていた。

しかし、この本に登場する自殺未遂者のインタビューによると、
そんな経験はない、という。

自殺に限って、そのような現象が見られないというのは、
どういうことなんだろう。。 

また、自殺を決行したその瞬間については、

「よく覚えていない」、「恐いという感じはなかった」、「痛みはなかった」

自殺の方法・手段についても、

「よくよく考えた末にその方法を選んだわけではない」、
「目の前に電源コードがあったから、それを使った」


また、自殺を選んだ理由としては

「死ぬしか選択肢がなかった」、「死ねば楽になると思った」

などと、ほぼみんなが口をそろえて言うらしい。
また、特に遺書も残していない場合も多い。

生きるのが本当にイヤになったとか、死にたくて仕方がなかったとか、
そういう切羽詰った感、悲愴感があまり感じられず
なんとも茫洋としているという印象を受ける。

まあ、もちろん全ての自殺者がこうではないだろうし、
ここでインタビューを受けた人に、こういった人が多かった、ということだけかもしれない。

しかし、少なくともここに見られるのは、私が想像する、人間が死を選ぶ際の状況・感覚・感情とは
かけ離れているような気がするけれど、と同時に、これは
自殺というものを考える上で、とても重要なポイントであるような気がする。


自殺を決意するにあたっては、まずその方法でさんざん迷うだろうし、
遺書も書くだろうし、決行するその瞬間は、すごく恐いだろうし、痛いだろうし、、 
と想像するけれど、実際はそうでもないというのは、やはり不思議。

作者もこれについては疑問に思いつつも、結局、心の病(うつ病)とか、
精神状態がとにかく尋常ではなかった、としかいいようがなく、
明快な結論が出せていないけれど、それも無理も無いことだと思う。

だれか医療関係者や心理学者で、このあたりを研究していないんだろうか。
私が知らないだけだろうか。


なぜ、自殺だけが、特別なのだろう。
自殺とそれ以外の死の違いはと考えると、まず自分の意思によるかどうか、
だろうけれども、
では、安楽死は? 自ら望んで安楽死を選ぶ人もいる。
でもこれは、自分は意思決定だけで、実際に手をくだすのは他人であるため、
自殺とはちょっと違う気がする。

では最大の違いは何かといえば、心身耗弱ということなのでは、と思う。
それは、病気などが原因で意識が朦朧としている、というのとは違った、
いわゆる意識変性状態だとか、なにか特殊な状態で、
そうなったとき、その人は、冷静な判断を下したり、明確な意思をもって行動する、
ということができなくなっているのだろうと思う。

それが、上のような状態での自殺を引き起こしている要因ではないか。


では、意識変性状態において、具体的には何が起こっているのか。

私が思うに、これは、何を言ってるの?と思われるのを承知で言うけれど
何らかの霊的な存在に、こころを乗っ取られている状態なのではないか、と。

つまり、先日の記事で紹介したように、矢作直樹/一条真也の両氏であれば、
これを「憑依」と言うだろうし
ジュリアン・ジェインズであれば、これを人間が意識を獲得する以前の状態、
つまり神の声を直接聞いている状態、と言うであろうような現象・状態。

或いは逆に、こころを乗っ取られた結果、意識変性状態になるのかもしれない。

これらはもちろん、いわゆるスピだったり、トンデモ系と紙一重だったりして、
世間的には苦笑されて終わりというか、まともに相手にされないことはわかってるけど、
考え方としては非常に面白いし、あながち全否定されるべきものでもない、
と私は思う。

http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2412.html

http://霊能.com/21/


気になるのは、自殺未遂者の多くが、未遂後に入院した病院で、落ち着いてから話を聞いてみると、
「他人事のように」自分の自殺について語る、ということ。

これはつまり、自殺が未遂におわり、ふだんの状態に戻ったその人は、
いわゆる「憑き物が落ちた」状態に極めて近い、とも言える。
これはいったいなんなのか。。

結局は、科学的な検証や説明ができないから、スピ的というか、
神の意志、人間の使命、それに反する邪悪な霊的存在、そんなものを持ち出すことで、
もっともらしい説明はつく。
人間、なんだかわからない、というのがいちばん不安なわけで、
不安になるよりは、非科学的な説明でもなんでもいいから、とりあえず納得したい、
という心理が働くものだから、
そう言う人もいるだろうと思う。

かといって、完全にこれを科学的な立場から否定することも難しい。
実際に、憑依という現象は、スピだのオカルトだのというものが言われるようになる
遥か以前の昔から、世界中いたるところで見られるのは事実なわけだし。

それが本当になんらかの霊的なものに憑かれているのか、
心理学的・精神医学的に説明がつくヒステリー現象にすぎないのかは別として。
(もちろん実際は後者が大多数)

いまのところ、私は明確にどちらの立場にある、とは言いがたい。
どちらも間違っていないように思えるから。


よく見たら、本の帯に、最も重要なポイントが書いてあることにいま気づいた。

本当に死にたくて自殺するわけじゃない」、と。

これは何を言わんとしているのか。



いずれにしても、
なんらかの、人間の大きな謎のひとつ、そしてなにかとても重要なことがそこにある、
そんな気がしてならない。

どうすれば意識変性状態になるのか、憑依とはなにか、
(脳の機能障害/生理的な場合を除いて)意識を失うとはどういうことか。。

そもそも、「こころ」とか「意識」といったものが、大きな謎なのだ。
心理学の教授でさえ、これに明快に答えられる人がどれだけいるだろう。

いずれも脳が作り出したものに過ぎない、という人もいれば、
それは魂であって、脳という物質的なものとは別だ、という人もいる。
しかし、病気などで脳に障害を負ったとき、人格が変わってしまうことがあるのは確かである。


とにかく、考えれば考えるほど、わからなくなってくる。
「いのち」とか「宇宙」などと同じで。

ていうか、「こころ」は「いのち」で、「意識」は「宇宙」なのか?

今後も考えていきたい。



とりあえず、ジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』を少し読んでみたけれど
まだ100ページも読んでいない現時点で、目からウロコ落ちまくり。

でもなぜか、興味が違う方に向いてしまったので、途中でやめて、
いまはスピ系のヒーリングの本とか、犯罪心理、アンデルセンの童話などを読んでいる。

まだ時期が早いということなのだろうか。





自殺―生き残りの証言 (文春文庫)

自殺―生き残りの証言 (文春文庫)

  • 作者: 矢貫 隆
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2000/02
  • メディア: 文庫



神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

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  • 作者: ジュリアン ジェインズ
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2005/04
  • メディア: 単行本




プルーフ・オブ・ヘヴン--脳神経外科医が見た死後の世界

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  • 作者: エベン アレグザンダー
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2013/10/10
  • メディア: 単行本



証言・臨死体験 (文春文庫)

証言・臨死体験 (文春文庫)

  • 作者: 立花 隆
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
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  • メディア: 文庫



「死ぬ瞬間」と臨死体験

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  • 作者: E. キューブラー・ロス
  • 出版社/メーカー: 読売新聞社
  • 発売日: 1996/12
  • メディア: 単行本




Leonor Fini,

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