辺境の天使 [美術・建築・デザイン]
空のなかで雲雀が死んだ。 どのように人がみまかるかを知らずに。
- シュペルヴィエル
偶然その存在を知り、
先日手に入れた天使像の写真集、
『天使の廻廊 Les Anges des Confins』
Confinとは即ち辺境のことで、というのもここに収められた
天使たちの大半は、クロアチアやスロヴェニアの、まあ
フランスやイタリアと比べたら、ヨーロッパの辺境といっていいところ、
ということなんだけれども
辺境というのは必ずしも悪い意味ではないわけで。
むしろ私は、その美しさに、ひとめ見た瞬間ハッとさせられ、
非常に感動した。
ここに収められた天使像には、フランスやイタリア・ルネサンスのそれのような、
洗練や派手さ、貴族的な香りはない。
そういった、今まで私が知っていた類の美とは、全く違った美。
イタリアンルネサンスなどに見られるような輝かしい美と比べると、とても素朴。
だからこそ、むしろ私には好ましい。
というのも、私も以前は、イタリアのキリスト教美術などに見られる、
輝くばかりの天上的な美こそが、
至上の美であるように思っていたけれども、
数年前にロマネスクの教会や彫刻の美に気づいてから、どうも違うような
気がしてきたから。
それは造形の美しさというより、人々の信仰と祈りに支えられた、
イマジネーションが炸裂した美、とでもいったほうがいいかも。
素朴な造形の向こうに、なにかが見える。
具体的なものとしての、彫刻や絵画のその向こうに、
彼らが実在する世界が透けて見えるような気がしてくる。
それは妙にリアルで、壮大なイメージだ。
それが、その天使像を見た瞬間に、私の中に、ぱっと広がる。
そういった、その向こうにある何か、それが、この美しさの源泉なのではないかと。
それはつまり
その教会が建てられた土地の人たちの祈りや、日々の生活、
愛などに支えられたもの、
そういったものが生み出したイマジネーションが、
人々を創造に駆り立て、生み出されたもの。
つまり、貴族やお金持ちに依頼されて、仕事として造られたものではなくて
表現せずにはいられなかった、非常に強い衝動のようなもの、
そういったものに突き動かされて、なにかにとり憑かれたように作られたもの、
しかもそれは個人的な思惑とか、利害関係ではなくて、
その人が属する共同体の、集合的なエネルギーのようなものが一点に集約され、
爆発したようなもの
それが本当の美なんだ、と痛感した。
つまり、人々のたましいが、形になったということなのではないかと。
計算されたもの、テクニックにものを言わせたものに、美しさはない。
そこに美があるとすれば、デザイン的な美しさだけなのでは、と思う。
しかしながら、こういった類の美というのも全ては、既に現代の我々が失ったもの。
私が、20世紀以降に登場した美術作品にあまり胸を打たれることがないのは、
その作品の向こうに何も世界が見えないからなのだと思う。
ただ、造形的な美しさを追っているだけ、
或いはその人の個人的な内面が映し出されているだけ、だからなのかな、
という気がする。
私のこころを揺さぶるのは、もっと、集合的無意識的なものなのかもしれない。
それはおそらく、土着のものなのだろうし、
グローバリスムがここまで進んでしまい、村落共同体的な社会が
崩壊してしまった現代においては、そういったものを求めるのは無理があるのかもしれない。
結局、美しいものは、過去にしかないのか。
空と夢―運動の想像力にかんする試論 (叢書・ウニベルシタス)
- 作者: ガストン・バシュラール
- 出版社/メーカー: 法政大学出版局
- 発売日: 1968/02
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シュペルヴィエル詩集 (1951年) (世界現代詩叢書〈第4〉)
- 作者:
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 1951
- メディア: -
2015-02-09 21:22
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